2005年06月24日

彼と同じ風 その1


    彼と同じ風                            
           片岡 永

花屋の女主人は毎度おおきにと客を送り出し、ふうっと息をついた。レジの横からほおきを取り出し、肥った体を重そうに動かしながら店内に散らかった切り花のゴミを掃き集め始めた。強い陽射しが店内の前の道路を白く照らしていた。集めたゴミを塵取りで取り腰を伸ばした。ショーウインドのロールスクリーンを降ろそうとした時、店の前にオートバイが止まった。もう二十六日か、と女主人は思った。
 多美子はオートバイのエンジンを切り、ヘルメットと手袋を取った。首の後ろに両手を回し、一つに結んだ髪を持ち上げて首筋に風を通した。ブルージーンズの尻のポケットにキーを突っ込み、ヘルメットを持って店に入った。クーラーの冷気が全身を包み込んだ。
多美子きほっと息をついた。女主人は笑顔でいらっしゃいと言い、「暑うなったねえ」と疲れたような顔をした。
「すっかり夏やね」
と多美子が言った。
「仕事のほうは順調にいってる」
女主人は持っていたほうきと塵取りをレジの横に片付けながら言った。
「ありがと。だんだん面白くなってきたわ」
「そう。それは良かったやない。そやけど気をつけてよ、あれ」
 店の前のオートバイを指差した。゛もうあんなことごめんやで」
「わかっているわ。私が一番わかってるんやから」
「そりゃそうね」
「今日で丸三年」
「もう三年」と彼女はあごを引いて驚いて見せ
「早いもんやねえ。私も年取るはずやわ」
 と言った。
女主人は笑顔をのこしながらバケツに差してある花を取っていった。カウンターに戻って手際よくラッピングしながら、あの頃の彼女は本当に見る影もなかったと思い出していた。自転車を押して毎月二十六日に花を買いに来るのだが、初めの頃は見ているほうが辛いほどしょげていた。黙って花を受け取り、黙って出て行った。その彼女がこうしてオートバイでやってきて、笑顔を見せるようになった。Tシャツにスリムのジーンズという格好に、長いパーマヘアがよく似合っていた。改めて歳をたずねたことはないが時々連れてくる女の子の歳から考えても三十近いはずた。最初の頃よりかえって若くみえるのが不思議だった。
「あんた、ほんまに強い人なんやなぁ」
と女主人は言った。多美子は口元に手を当ててケラケラと笑い、
「そう見える。ほんまはね、すごく弱虫なんよ」
 と言って、女主人の顔を見つめた。
  いつものようにオートバイは店の前に置いたまま、女主人に水の入ったバケツを借り、多美子は花束を抱えて交差点まで歩いた。すぐに汗が吹き出した。蝉の鳴き声が聞こえていた。アスファルトの地面がゆらゆら揺れているように見えた。今年もあの日と同じように暑くなった。交差点の歩道の隅に置かれた黄色いバケツの花は、枯れて茶色くなっていた。水が無くなっていないのは、その前の雑貨屋の主人が時々入れてくれているからだ。
多美子は古い花を取り、水を捨てた。新しい水でバケツを洗い、持ってきた花と水を差した。手を合わせ、目を閉じた。走り抜ける車の音や蝉の声がふっとなくなった。じりじりと首筋を焼かれているのが分かった。立ち上がって雑貨屋の主人に声を掛け、礼を言った。店先の風鈴が鳴っていた。
 墓参りに行くより先に、彼の好きだった海に行ってみたかった。河口を渡る大きな橋を越えると海の匂いがした。油の浮いた海だが、町の匂いとは確かに違っていた。オートバイは風の匂いが肌で感じられるんや。といつも彼が言っていた。
 思えば、結局最後となったツーリングから帰ってきた夜だった。ビールを飲みながら、赤く焼けた腕を、手袋で焼けていない白い掌でさすりながら「エアコンの効いた車の中は確かに快適やけど、どこにいっても同じなんや。寒うても暑くても、エアコンで設定した温度どおりなんや。そんなんおもしろいこともなんともあらへんやろ。けどオートバイは違うで。夏は股の下から熱気が上がってきてむんむんしよるし、冬はごっついブーツ履いても分厚い靴下履いてても足の指先の感覚がなくなるくらい寒いんや。辛いで、オートバイは。その代わりに海にいったら潮の匂いがしてきよるし、街にいったら街の匂いがする。田舎にいったら田舎の匂いゆうのんがあるし、山に入ったら木の匂いがしてきよるんや。雨が降ったら、どんなええレインコート着ててもパンツの中まで濡れてきよる。真夏でも寒いんやで。泣きとうなってくるで。辛うて辛うて、なんでわしこんなことしてんねんて思うけど、雨が上がって雲の隙間に太陽の光が見えてきた時のあのうれしさ。感動もんやで。パンツなんかすぐ渇きよるがな。長い長い峠道を走っててな、やっと頂上が見えて、その坂を登り切ったらぱあっと目の前が海や。想像せえよ。白い波がちろちろ動いててな、そこにねとっとした潮の匂いがしてくるんや。峠の下り坂なんか走ったら、だあっと海に突っ込んでいく気がするで。そんなんのほうがよっぽど人間的やと思わへんか。いろいろなことがあったほうがおもしろいがな。」
 普段あまり喋らない人が、その時は詰まりながらもよく喋った。左手に煙草を持って、遠い目をしていた。きっと彼は自分の話の中に海を見ていたんだ。
 多美子は港の大通りを走り抜け、フェリーターミナルを過ぎ、南港の先端にある埠頭にオートバイを止めた。大きなコンクリートのもやい杭に腰を下ろした。ギラギラと光る大阪の海を見ながら、煙草をつけた。煙は頬を伝わって、流れて消えた。太陽はゆっくり傾きかけていた。
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(彼と同じ風 その2につづく)

By myfont @ 10:56 PM | 彼と同じ風 | コメント (0) | トラックバック (0)

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